4名の奏者による個性あふれる演奏が感動を呼んだ
「第43回横浜市招待国際ピアノ演奏会」
2025年12月15日 (月)
取材・文: 長井進之介
写真:藤本史昭
40年以上にわたる歴史をもち、これまで約200名の才能あふれる若手ピアニストを紹介してきた「横浜市招待国際ピアノ演奏会」。2025年11月16日(日)に行われた第43回では4名の出演者が横浜みなとみらいホール大ホールで個性と感動にあふれたステージを披露した。その模様をレポートする。

各奏者の演奏の前に、企画委員長でありピアニストの海老彰子から本演奏会の意図、今回の演奏者について紹介された。
「本日はたくさんのお客様にお越しいただきうれしく思います。横浜市招待国際ピアノ演奏会は、故・山岡優子先生が1982年に創立され、横浜市のご支援を受けながら毎年秋に開催してまいりました。いままでこの音楽会に出演された方々は世界的に素晴らしい音楽家としてご活躍されています。出演者は国際コンクールにおいて少なくとも2つ入賞されている方というのが条件で、5人の選考委員が書類と録音審査を行い、出演者を決定しております。
本日の演奏していただくのは、最初がタイからの初の出演者、サン・ジッタカーンさんです。ポエジーな魅力にあふれた演奏をされる方です。
今回が初来日となったフランスのジャン=ポール・ガスパリアンさんは、文学や哲学にも造詣が深く、非常に頭脳明晰な方です。
ドイツのヨナス・アウミラーさんは、仙台国際音楽コンクールおよび浜松国際ピアノコンクールで活躍された方です。とても好奇心旺盛で、今回の横浜の滞在もとても楽しまれているようです。
田所光之マルセルさんは日本とフランスにルーツを持つ方で、物事を極める姿勢、人に素晴らしい音楽を届けようという想いにあふれた方です。
多くの方々からのご協賛もこの演奏会において欠かせないものです。そしてお越しくださったみなさまには心から感謝申し上げます」

最初の演奏はサン・ジッタカーン。まずはやわらかく透明感のある音色でシューマンの〈アラベスク ハ長調 Op. 18〉を奏でた。タイトル通り、アラビア風の唐草模様のような音型が次々にあらわれて溶け合っていく楽曲だが、そのハーモニーの変化とニュアンスの多彩さはもちろん、それぞれの音型を“うた”として届けようとする演奏が印象に残る。ときには対話のように奏で、優雅さや繊細さとともに、ドラマ性も感じさせる演奏であった。
2曲目は〈交響的練習曲 Op. 13〉。練習曲と変奏曲の要素を持ったシューマンの意欲作であり、高度な技巧はもちろん、構築性と多彩な表現力が求められる。ジッタカーンはここでも旋律の歌いまわしが魅力的である。同じ旋律が現れてもニュアンスに富んだ音色を聴かせ、ただの繰り返しになることがない。一方で、動機や旋律の関連も聴き手に鮮やかに届けることで確固たる構築性も聴かせた。歌心にあふれつつも、主題から最後の華麗なフィナーレに向けてのクライマックスの作り方の計算を同時に成し遂げ、見事なバランス感覚も見せてくれるのである。彼は常に根底に“うた”を感じさせるピアニストであり、だからこそ音楽が自然に流れていくのだろう。


次の演奏はジャン=ポール・ガスパリアン。1曲目はドビュッシーの《版画》。収録された3曲それぞれが各地方の情景や空気感といったものを感じさせる楽曲であり、演奏者には音色のコントロールや響きのバランス、リズム感など、技巧だけではまとめきれない難しさが要求される。ガスパリアンは、卓越したテクニックを持っているのはもちろんだが、彼は“空気感”の創出に長けたピアニストである。11月13日にクイーンズスクエア横浜にて行われたミニ・コンサートでも感じたことだが、一音出した瞬間に風景を見せてくれるような感覚になる。あらためて音というものに色がある、ということを実感することができた。
2曲目は彼の父親のルーツでもあるアルメニアのピアニスト、作曲家のババジャニアンの《6つの描写》。民謡と12音技法が結びついた楽曲で、旋律の独特さと共にリズムの難しさがある。ここで彼は前曲とは大きく雰囲気を変え、時にはピアノを打楽器的にならしつつ鮮烈な響きやリズムを巧みに聴かせた。一方でそれでもまったく攻撃的な音にはならず、豊かな響きで楽しませてくれた。
3曲目はリストの〈ミゼレーレによる演奏会用パラフレーズ S. 433 R.266〉。ヴェルディのオペラ《イル・トロヴァトーレ》の旋律を編曲した作品だ。当然、華麗な装飾が施されているのだが、技巧を見せるためのものではなく、それもまた色彩に変え、原曲の旋律をピアノによって深く歌うことに成功していた。


それぞれが演奏を終えた後は、アンコールとしてジッタカーンとガスパリアンによる連弾でドヴォルジャークの〈スラブ舞曲 第8番 Op. 46-8〉が披露された。ジッタカーンが豊かかつのびやかな響きでセコンドパート、ガスパリアンがブリリアントな音色でプリモパートを演奏。両者ともたくさんの音色を自在に操ることができる奏者であり、溶け合いながらも、音の一つ一つがキャラクターをもって浮かび上がり、和音が奏でられた際に実に様々な色を感じることができた。リズムの扱いも心地よく、スピード感のある楽曲ながら、優雅さも感じられる仕上がりであった。


休憩をはさみ、3人目に登場したのはヨナス・アウミラー。10月のショパン国際ピアノコンクールにも出場した彼はオール・ショパン・プログラムでまとめあげた。1曲目は〈幻想曲 ヘ短調 Op. 49〉。葬送行進曲で開始し、調や楽想が次々に変化する劇的な作品だが、その曲想に溺れることなく、各要素を丁寧かつデリケートにまとめあげ、気品すら感じさせる仕上がりを聴かせた。
《3つのマズルカ Op. 56》はアウミラーの演奏の特徴ともいえる“優雅さ”が実によく活きている。やわらかく、包み込まれるようなやさしい音色を基調としながら、光と影のコントラストをつくりだし、各楽曲に流れるショパンのあらゆる感情を大切に届けようとする意志を感じさせる。一方で誠実にマズルカのリズムを捉え、踊りの要素と感情表現を見事に結びつけることに成功していた。
3曲目のマズルカからほとんど間を空けずに弾かれたのは〈スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 Op. 39〉。オクターヴのユニゾンによる第1主題の鮮やかさはもちろんだが、第2主題のコラールとそれに応えるように降り注ぐ分散和音の美しさが魅力的であった。音量、表現のレンジは非常に幅広いのだが、アウミラーはとくに繊細さや優雅さといった表現でとりわけ魅力的な演奏を聴かせてくれる。常に気品を感じさせるピアニストである。


最後の奏者は田所光之マルセル。彼はオール・リスト・プログラムを披露し、高い技術と彼自身と演奏に常に漂う“華”を改めて感じさせてくれた。最初に聴かせてくれたのは〈愛の夢-3つのノクターン S. 541〉から第1番。旋律をニュアンスに富んだ音色でのびやかに歌いつつ、高音のパッセージを輝かしくもデリケートに奏で、甘美でありながらどこか宗教的な雰囲気をまとったこの曲の魅力が鮮やかに響いた。
この後に続くのは《超絶技巧練習曲 S. 139》からの抜粋。第7番〈エロイカ〉と第8番〈荒野の狩〉では楽器を豊かに響かせ、ブリリアントな音色を会場に響かせた。田所は楽器のコントロールが非常に巧みであり、強い音はもちろんだが、弱音においても常にスケールの大きさを感じさせる。やわらかさ、やさしさの中にも常に輝きや凛とした存在感を感じさせ、一つ一つが輝きをもって聴こえてくるのだ。
あたたかい音色が印象的だった第3番〈風景〉に続いて、第4番〈マゼッパ〉は曲集の中でもとりわけ技巧が凝らされた難曲であり、劇的な雰囲気に満ちているのだが、不思議とその“難しさ”というものに意識がいかなかった。それよりもむしろ、楽曲の中で展開する英雄の物語とその展開に心踊らされた。
曲集の最後でもある第12番〈雪かき〉は最後こそ盛り上がりを見せるが、基本的にはデリケートな音型や旋律が展開する楽曲。64分音符という非常に細かい音符が散りばめられた楽曲なのだが、その一つ一つが密度をもって響き、ここでも改めて彼の音色の輝き、その存在感というものを実感した。


前半と同じく、二人の演奏後のアンコールには連弾が披露された。今度はアウミラーと田所のペアである。曲はJ. シュトラウスII世のオペレッタ《こうもり》の序曲(アウミラーによる連弾編曲版)。気品と優雅さを持ち味とするアウミラーがプリモ、スケールの大きな音楽づくりをする田所がセコンドを担当し、非常にバランスのとれたアンサンブルが展開していく。各場面の鮮やかなコントラスト、超絶技巧の凝らされた音型の鮮やかな演奏、そして互いの持ち味を尊重したやりとりと多彩な音色によってピアノ1台からオーケストラの響きが紡ぎ出されていった。ピアノという楽器を知り尽くしたアウミラーだからこその編曲も功を奏したのであろう。オーケストラの音型を見事にピアノで魅力的に響く動きに変換したその手腕にも驚かされた。


最後になったが、それぞれの奏者の魅力を最大限に引き出していたヤマハの「CFX」の音色についても触れておかなくてはならないだろう。ブリリアントな音色を持ち味としながら、奏者ごと、そして曲の中で実に様々な音色が作り出されており、演奏者の想いや表現がダイレクトに聴き手へと届いてきた。久しぶりの大ホール開催となった今回の演奏会において、大きな空間の隅々まで美しい音を届けたこの楽器の功績は非常に大きい。
4名のピアニストそれぞれの個性、魅力が存分に発揮された今回のステージ、大ホールを埋め尽くした多くの聴衆にとって非常に心に残るものとなったようだ。いずれの奏者の演奏の後にも万雷の拍手が響きわたり、その感動の大きさを示していた。これからますますの活躍が期待される若き奏者たちの今後をどうか多くの方々にご注目いただきたい。

第43回横浜市招待国際ピアノ演奏会
日時:2025年11月16日(日)15:00開演(14:20開場)
会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
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