館長と語ろう #3 沼尻竜典×藤木大地×新井鷗子
2022年10月29日 (土)
横浜みなとみらいホールの新たな節目に、クラシック音楽シーンのこれまでと、これからを考える
聞き手・文:飯田有抄/写真:平舘 平/会場協力:パシフィコ横浜
2022年1月25日実施
横浜発のクラシック音楽シーンを担う、沼尻竜典(神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督)、藤木大地(横浜みなとみらいホール プロデューサー2021-2023)、新井鷗子(横浜みなとみらいホール館長)、の3者に、これまでの日本のクラシック音楽受容や、今後の課題や夢、秋からの展望について語り合っていただきました。
◆日本のクラシック音楽シーンの過去と今を考える
新井:日本におけるクラシック音楽を振り返ると、長らく教養主義的、啓蒙的に受容することが主流でした。その後、もっと親しみやすいものにしたい、という考えから「敷居を下げよう」という時代があり、ポップスと融合させたクロスオーバーのような新ジャンルも出てきました。そして今は、インターネットが普及し、クラシックの受容の仕方も多様化しています。そんな3つの段階を目の当たりしてきましたが、基本的には、「純粋に」という態度と、「敷居を下げてわかりやすく」という態度の二つの間を、振り子のように行き来してきたように思います。
私は構成作家として、「親しみやすい」演奏会のオーダーをよく請け負ってきましたが、かつては「純クラシックアーティスト」とされる人たちは、そうした公演には一切見向きもしませんでした。しかし今では実力も知名度もあるアーティストたちが、まったく偏見なく、そうしたものにもチャレンジし、気負いなく発信するようになりました。一流奏者が自らトークもするし、若手のステージマナーも底上げされて、全体的なパフォーマンスが高まった。これはとても大きな変化だと感じています。
沼尻:やはり時代というのは変わっていきますね。今の世代はTwitterやYouTubeといったSNSを駆使して上手にPRし、自分の価値を高めたりしています。聴衆も、コンサートの休憩時間に感想を投稿しています。Twitterの投稿を見ていると、自分の行けなかったコンサートの様子もわかる。遠方の公演にはなかなか出かけられない年輩の方たちも、見ることが難しいワーグナーのオペラを、ネット配信を通じて鑑賞できたりもする。普及という意味ではいい面もあります。
ただし、便利になりすぎたと思うこともあります。ネット以前からの問題でもあるけれど、聴きたい曲だけパッと一足飛びに再生ができたり、オペラも簡単に字幕が読めたりすると、「余韻」が長く残らない。ベートーヴェンの「第九」の4楽章だって、3楽章までじっくり聴いているからこそ意味があるし、オペラも公演1週間前からじっくり対訳を読み込んで鑑賞すれば、身体により深く染み込む。便利なツールが登場することで、怠惰になり、クラシック音楽を深く理解して咀嚼する体験が少なくなってきたのではないでしょうか。
藤木:ネットを通じて情報や映像に簡単に触れられるのは、入口としては良いと思います。ただ、その入口を通じて、劇場に来てもらうきっかけにしてもらいたいですし、そういう仕組みを作りたいと考えています。「敷居を下げる」必要はまったくないと思います。最初からお客様に「喜ばれよう」とするのではなく、お客様が「結果的に喜ぶ」ことを考えたい。 2020年頃からは、アーティストたちがネットを駆使し始め、それによって「世に出る方法」も増えました。一方で、気楽にみんなが発信できるようになったことで、情報が飽和し、埋もれやすくもなった。体感的には、歌手にはスポットライトがあたりにくい。オペラ劇場で国際的に活躍している素晴らしい日本の歌手はたくさんいますが、そうした方々が日本のマーケットには乗りにくい現状があります。
◆日本の歌手たち、オペラ制作のあり方にかける夢
沼尻:この話題になると、私はびわ湖ホールの芸術監督でもありますので、1時間でもしゃべってしまう…(苦笑)
新井・藤木:聞きたいです。
沼尻:日本では、声楽界の重鎮を幹部として運営されているオペラ団体主催の公演が多い。日本のステージで歌うには、まずはそうしたオペラ団体の中で実力を発揮し、認めてもらうことが重要となります。劇場主催の公演でも、今は「働き方改革」などで、職員が長時間労働をすることはできないので、公演をパッケージで制作してくれるオペラ団に、キャスティング含めて丸ごと委託する場合が増えている。そうすると、基本的にそのオペラ団の所属歌手のみが出演することになるんですね。
一方で、特に海外で歌っている歌手に多いのですが、無所属でありながら実力のある素晴らしい歌手たちもいます。そういった人たちに日本でも活躍してもらいたいけれど、構造的に難しいところがある。海外では、歌手たちはオペラ団に所属するのではなく、劇場と直接契約を結んで歌うのがほとんどです。日本でもそうですが、劇場自主制作のプロダクションは多様性もあって、所属や門下に関係なく個性をぶつけ合い、実力を磨くことができる。日本の伝統である「オペラ団方式」にも良い面はあるのですが、やはりグローバルスタンダードな形に近づけていかないと、世界と勝負するには不利ですね。
藤木:みなとみらいでは、キャスティング部分なども含めて、何か新しいアプローチをとっていきたいですね。ホールプロデューサーという役職は、これまで指揮者や作曲家の方がつくことはあっても、僕のような歌手やまったく重鎮でもない人間に、その役割を与えられることはなかった。役目をいただいたからには、少しずつでも歌の世界をよりよく変えていきたいです。僕は外国で歌っている素晴らしい歌手たちの様子を、SNSを通じて連日のように確認しています。その人たちの素晴らしさが日本に伝わりにくいのは、悲しい現状ですから。
新井:藤木さんからヨーロッパの劇場の情報などをいただきながら、横浜みなとみらいホールでは、劇場としてパフォーミングアーツに力をいれていきたいです。コンサートホールなので、コンサート形式のような形でぜひオペラもやりたいですね。神奈川フィルの皆さんと一緒に、何かシリーズのような形で展開できたらいいな。
沼尻:そうですね。忖度なく、公平なキャスティングをしましょう(笑)。
◆秋の再開館にむけて、力をいれていきたいこと
沼尻:神奈川フィルでは、横浜みなとみらいという素晴らしいホールを拠点として、充実した音作りを進めていきたい。神奈川県民ホール、神奈川県立音楽堂とあわせ、3か所も近隣にホールがあるという恵まれた環境を活かしたい。小田原や厚木など、ほかにもいいホールがありますから、各ホールの響きに合った演目も開拓していきたいですね。東京も隣ですし、よいプログラムを組めば、マーケットはさらに拡大していく可能性があると思っています。
藤木:今僕が企画していることの一つは、横浜発信のコンテンツを、日本各地の劇場と連携して広めていくことです。劇場とは地域に根ざした広場です。自分の街にある劇場に、皆さんが誇りを持つことが大切だと思います。土地への愛着、人的交流につながるようなアイデアをもって、横浜から各地をめぐるツアーを企画しています。横浜から、クラシック音楽も、各地の劇場も、盛り上げていけたらと思っています。また、川崎の洗足学園音楽大学で学生たちにセルフ・マネジメントを教えています。若い感性をサポートしながら、職業訓練的な取り組みにも力を入れたいです。
新井:ホールとしては、これまで継続してきた歴史あるシリーズやトップアーティストによる公演を大切にしつつ、次世代育成とインクルージョン事業に力をいれて進めていきます。藤木さんのような「演奏家」をプロデューサーとして迎え、ますます活性化を図っています。今は「中学生プロデューサー」もホール事業として進めています。台本・広報デザイン・レセプションなど中学生自身が手掛けているんです。藤木さんにもレクチャーをしていただきました。
ほぼ同世代の沼尻さんとは、これまでもクラシック音楽の受容シーンで共に働きかけを続けてきた「戦友」としての意識があります。ぜひ、神奈川フィルの実力をますますアップしていただき、素晴らしい公演でご一緒していきたいと思います。